みなさんこんにちは。

四万十町の秋はなんといっても食欲の秋。

お米はもちろん、椎茸に生姜、なすにサツマイモ。食べたいものが多すぎて食欲がとどまるところを知りません。

このまま冬に入って運動しなくなると目も当てられないので、少しずつ運動する計画だけはしている今日この頃です。

さて今回ご紹介するのは、四万十町の窪川地区で50年以上食肉店を営まれている「鈴木食肉店」さん。

地元の人が普段の料理に使うお肉から、焼肉やBBQ用のお肉などを買っていく昔ながらのお肉屋さんです。

鈴木食肉店の大きな特徴は、町内に直営の牛舎をもち、肉牛の肥育から加工・販売まで一貫経営を行っているところ。

失礼ながら私も今回取材させていただくまで、普通のお肉屋さんだと思っていたのですが、一代でこの窪川地区で商売を立ち上げてきたお話や、現在にいたるご苦労や牛に対する思いなど、ずっしりと熱いお話を伺うことができました。

窪川の商店街で50年以上続く食肉店

四万十町の窪川地区は四国八十八箇所の37番札所、岩本寺の門前町として栄えた土地で、古くから交通の要所として人が集まる場所です。

そんな窪川には「吉見町通り商店街」と「本町通り商店街」の2つの商店街があり、その2つがちょうど交わる地点に鈴木食肉店はあります。

店内に入ると出迎えてくれたのは奥さんの鈴木君依(きみえ)さん。従業員を合わせると4名でお店を切り盛りしています。

開業は前回の東京オリンピックがあった頃。

— 本日はよろしくお願いします。

鈴木君依さん「はい、よろしくお願いします。」

— 鈴木食肉店は50年以上前から営業しているとお聞きしました。

「そうですね。昭和39年開業なので、今年で56年目になります。前の東京オリンピックがあった年の2年後ですね。
このお店の近くに昔は店舗があったのですが、数年前に現在の場所に移ることになりました。」

— 以前の東京オリンピック、、、その頃この辺りはどんな雰囲気だったのでしょうか?

「かなりの賑わいでしたよ。大きな会社が複数あったので、その家族の奥様方が夕方になるとこの商店街に買い出しに来てね。
魚屋や八百屋なんかもあったから、この商店街で必要なものは一通り揃っていましたよ。」

「あと、いま店舗がある場所は以前は映画館だったんです。昔はそこに入っていく人を羨ましいなぁなんて思っていながら眺めていました。
当時は正面の道路も舗装されていなかったけど、夕方になるとうちのお店もたくさん人が来てくれて、1日に100人ぐらいは来店していたと思います。」

前から窪川には3軒ほど映画館があったとは聞いていたのですが、その一つの場所がここだったとは!

君枝さんの話では商店街の並びにもう一件映画館があって、多くの人が商店街に買い物をしに来たり、娯楽を楽しみに来ていたそうです。

当時の賑わいの様子を少し垣間見れたような気がします。

改めて店内を見渡してみると整理整頓されていてとても清潔感があり、様々なお肉が売られていました。

それぞれの量は多くないですが、やはり精肉専門店ならではの品揃えです。

四万十町のお肉見本市

— 現在ではどんなお肉を何種類ぐらい取り扱っているのですか?

「全て四万十町産のお肉を販売しています。鶏肉は四万十鶏、豚肉は四万十米豚、牛肉は自社牧場の四万十ビール牛を取り扱っています。
部位や切り方などで商品名が変わってくるのですが、それらを合わせると大体40種類ぐらいは取り扱っていますね。」

— どんな商品がよく売れるのですか?

「そうですねぇ、、主婦の方々はやはりロースやバラ肉など料理用のお肉を買って行きますが、記念日の時にステーキ用の肉を買ったり、夏にバーベキューをする時の焼き肉用のお肉を買っていかれる若いグループがいたりと、皆さん思い思いのお肉を買っていきますよ。」

四万十ビール牛の特選焼肉用!

話を聞きながらお肉を見せてもらいましたが、焼肉用と見せてもらったお肉のサシの入り具合と言ったら!!

焼くところを想像するだけでお腹が減ってきます!

50年間続いてきた理由

お話を伺っていると、店の前に車が停められ業者の人といった雰囲気の方がお肉を運んでいきます。

— 店頭での販売以外にも、商品を出しているのですか?

「はい、主に町内の飲食店さんやお肉屋さんに卸しています。あとは高知市内の飲食店にも数件卸していますね。
新阪急ホテル高知の鉄板焼きのレストラン「華山」でも当店のビール牛が使われていますよ。」

「大まかですが、町内外合わせて20件ぐらいと取引をさせてもらっていますね。」

店舗の奥には加工場があり、従業員の方が丁寧に肉を加工していました。

町内から高知市内まで、多くの場所に窪川の牛や豚を販売していたのですね。普通のお肉屋さんとは思えない商圏の広さ。

鈴木食肉店が長年営業を続けているのは、商店街のお店に留まらない規模で商いをしているからなのかもしれません。

鈴木君枝さん、貴重なお話ありがとうございました!!

鈴木食肉店の牛舎見学!

代表の鈴木敏夫さん。

場所は変わって鈴木食肉店が運営している牛舎の見学です!

案内してくれたのは取締役会長の鈴木敏夫さん。

鈴木食肉店の経営主体である「有限会社鈴木」では若井川と天の川(そらのかわ)という2つの地区に牛舎を持っているそうです。

今回は天の川の牛舎にお邪魔させていただきました!

天の川地区。四万十川のそばに牛舎があります。

— 鈴木さんよろしくお願いします!

鈴木敏夫さん(以下敏夫さん):「はい、よろしくおねいがいします。」

— すごくきれいな牛舎ですね

「やはり衛生管理には一番気を使っていますよ。ここは元々、酪農をやりよったのですが、それをやめるとなったときにウチで肉牛用の牛舎として買い取ったんです。」

「その前は町有林だったけど、畜産産業の振興ということで払い下げられた土地だったそうですよ。」

— 黒い牛と茶色の牛がいるようですが、どんな種類なのですか?

「黒い方が黒毛和牛、茶色い方が赤牛ですね。赤牛は高知と熊本で育てられていて、流通量も少ない貴重な牛なんですよ。

大体うちでは、黒牛7、赤牛3ぐらいの割合で飼育しています。」

— 赤牛って高知ではよく見かけますが貴重な品種なのですね。やはり味の違いはあるのですか?

「赤牛の方が少食なので育成しやすく、赤身が多く脂身が少ないのでしつこくない肉質なのが特徴ですね。
あっさりしているお肉が好きな方には赤牛ですよ。」

「赤牛の特徴はいろいろありますが、綺麗好きであまり体を汚さないですね。あとは顔もきれいでしょ。まつ毛が長い目が特徴的なんです。」

そう言って鈴木さんが牛に声をかけると、すぐにこちらへ寄ってきてくれます。本当に人懐っこいですね。

確かにまつげが長くて綺麗な顔立ち!

「ここでは200頭ぐらいの牛を飼育していて、若井川の牛舎と合わせて毎月15〜20頭ぐらいを出荷できる体制を整えています。
こっちが子牛がいるエリアで、大きくなるにつれて牛舎の中を移動していきます。大体20ヶ月ぐらいで出荷となりますね。」

牛舎に来たばかりの仔牛さんたち。か、かわいい!!

牛舎で堆肥も生産

「あと、牛床(ぎゅうしょう:牛たちの足元に敷く土)は自社で堆肥にしています。奥に施設があるので見にいきますか?」

そういって鈴木さんが案内してくれたのは、牛舎の奥に見える大きくて立派な建物。

ちょっとしたハイキング気分で建物の方に歩いて行きます。

遠目からは何の施設かわかりませんでしたが、近くで見ると大きな壁で区画された部分に土が山のように積まれています。

— ここで堆肥を作っているんですか?

「そうです。牛床は土と排泄物・おが屑(木くず)が元になっているのですが、この施設でそれらを発酵させて堆肥にしています。」

堆肥を作る場所とのことだったので、もっと匂うものだと思っていたのですが匂いは全くなく、どう見ても土にしか見えません。

「牛舎からこちらに牛床を持ってきて、3ヶ月間発酵させることで堆肥ができるんです。発酵には酸素が必要なので、裏から送風機で空気をを送り込んでいるんです。」

「ここで作った堆肥は、農家さんが稲刈りを終えた田んぼ用に持っていくんですよ。」

そんな話を聞いていると、ちょうどトラックが到着。堆肥を持っていく場面を見ることができました。

堆肥の出荷!

大きな作業車をとても手慣れた感じで操っています。しばらく取材のことも忘れて写真を撮っていました笑

しかし一代でここまでの施設と仕組みを作ってしまうとは。。。

昭和の時代から丁寧に、ひとつずつ事業を大きくしてきた場所には至る所に思いが詰まっていて、もっとお話を聞いてみたいと考えていたところで今回の牛舎見学は終了。

とても楽しい取材でした。ありがとうございました!!

鈴木食肉店の始まりとこれから

さて一旦鈴木食肉店さんの店舗の方に戻り、鈴木敏夫さんに改めてお話を伺います。

ここまでの施設や流通網などを、どのように作ってきたのでしょうか。。。

— 鈴木食肉店の始まりは、どのような形だったのですか?

「私は元々農家の長男だったのですが、若い頃はちょうど高度経済成長期で。
その頃の給料は田舎で1万円でしたが、都会に行けば3万円という時代でした。」

「そんな時代だったので私も大阪に出て仕事をしていたのですが、経済の成長が止まってくるとすぐにクビを切られてしまいまして。当時は今ほど労働者が守られてなかったからね。」

「その後も2年ぐらいは大阪にいたのですが、ちょうどその頃に東京オリンピックの需要を見込んで父が豚を売る商売しておりまして。それでも手伝おうかという思いでこちらへ帰ってきました。」

以前の東京オリンピック。。。今年は新型感染症の影響で大変でしたが、当時もまさに激動だったのですね。

「そうですね。そこで父に話をすると、『素人がやってもいかんから、高知で修行をしてこい』と言われまして。『まだまだ先があるんだから、本職の修行をして、きちんと手に職をつけろ』と。」

「それから2年間、高知市内の肉屋へ丁稚奉公に行き修行をしたあと、窪川に戻ってきて鈴木食肉店を開業したんです。」

何も技術もないところから修行して、1から自分で始められたのですね。。。今とは比べ物にならないほど情報もない時代にそこまで作り上げてしまうとは。自分だったら絶対にできない気がします笑

— 開業してからはどのような様子だったのですか?

「丁稚奉公をしていた時に精肉に関係する友達がたくさんできましたので。高知市内のお肉屋さんに窪川の豚を買って卸に行っていました。
窪川は昔から養豚が盛んだったので、週に一回は豚肉を卸に行っていましたよ。
そうやってちょっとづつ
稼いだお金で牛舎を立てたり、牛を買ったり。
少しづつ事業を大きくしていきました。」

「そうして開業から30年ぐらい経った頃、本格的に牛の飼育に取りかかりました。
最初は仔牛を産ませて、出荷までを一貫経営でしようと思ったのですが、色々なことがあって失敗してしまいました。」

「仔牛の育成はやはり難しかったです。自分は会社の経営で外に出ることも多かったので、牛の管理は従業員に任せていたのですが、付け焼き刃でやらせようとしてもなかなかうまくいきませんでした。」

やはり全てが順調と言うわけではなかったのですね。失敗もありながら、それでも試行錯誤をして牛や精肉に対する情熱を持って向き合ってきた姿勢が、鈴木食肉店が評価され続けてきた理由なのかもしれません。

こだわりの飼料で育成した、四万十ビール牛!

— 次は四万十ビール牛について教えていただきたいです!

「ビール牛といっても実際にビールを飲ますわけじゃなくてね。ビールを作る過程で出る麦芽を『ビール粕』って言うのですが、それを飼料として与えているからビール牛という名称になります。」

「発酵飼料という形になりますね。そのビール粕に麦やとうもろこし・大豆を混ぜて、水分を与えることによって、残っている酵母の発酵が始まって、質の良い飼料ができるんです。」

— 通常の飼料と違う点はどんなところなのですか?

「発酵しているので胃に優しいところが一番かな。吸収も楽になるし、体調も良くなります。胃腸障害といった病気も全くなくなるんですよ。
ちょっと嫌がる牛もいるけど、慣れたら普通に食べてくれますね。」

— どうしてビール粕の飼料を使おうと思ったのですか?

「元々仔牛を九州から買っていたんだけど、その牛もこの飼料を食べていたので。それをこちらでも導入して今の形になっています。」

鈴木さんが見せてくれた発酵飼料。

— 牛を育てる上で、他に気をつけているところはありますか?

「やはり体調管理に一番力を入れていますね。飼育期間・健康管理・病気をさせん。風邪を引かせない。」

— 具体的にはどのような形で行っているのですか?

「一頭一頭の個体管理をこだわってやっています。こちらに居る時は朝晩牛舎に行って、牛の様子を確認していますよ。
毎日見ていると個性があるから、牛の顔を見ればスッとわかるようになります。耳が垂れたり、頭が下がっていたりしたら調子が悪いんだなとかね。」

とても優しい口調で話してくれた鈴木さん。牛に対する情熱が伝わってくるようで、本当に大切に育てられているんだなと感じました。

— 最後に、鈴木食肉店のお肉を、どんな人に食べて欲しいですか?

「私ももういい歳なので、あまり大きなことは言いません笑。高知県や四国の中で、食べたいと思ってくれる人に届けられたらいいなと思っています。

ただ、ふるさと納税の返礼品として全国にお届けできるようになったので、それぞれの特別な日などにぜひ一度四万十ビール牛を食べてみて欲しいですね。」

鈴木さん、今回はお話を聞かせていただき、本当にありがとうございました!!

仕事に対する向き合い方がとても誠実で、真剣に取り組んでいる姿勢にとても感銘を受けました。

四万十ビール牛、ぜひ一度ご賞味ください。