冠におぼれず、飾らず。100年以上続く酒蔵~無手無冠~

皆様、こんにちは。
今回は、四万十町の酒蔵「無手無冠(むてむか)」さんにお邪魔してきました。
お話していただいたのは、番頭の福永太郎(ふくながたろう)さん。

とても気さくな方で、当時のことを面白楽しくお話してくださいました!
無手無冠の一番人気!ダバダ火振
無手無冠の一番人気は、なんといっても、ダバダ火振。栗を使った焼酎です。
ダバダ火振の特徴は「くせのない、すっきりとした味とほのかに香る栗の香り」。芋焼酎や麦焼酎が苦手な方でも「ダバダなら飲める!」という方も少なくないそう。
福永さんがおっしゃるには、「栗焼酎を作っている酒蔵は、全国に20軒ほどありますが、栗焼酎をメインに作っているのは、うちくらいなんですよ。おかげさまでシェアも大きいです。」とのこと。
ダバダ火振は作り続けて35年ほど。
100年以上続く無手無冠の歴史の中では新顔ですが、一番人気の理由は、やはり「味と香り」。
飲みやすさとふわっと香る栗の香りが、一番人気たる所以でしょうか!
でも実は、日本酒の蔵。
ダバダ火振で有名な無手無冠ですが、創業当時は日本酒の蔵として日本酒を作っていたそうです。
無手無冠の日本酒は、四万十町の契約農家7軒で作られたお米だけを使って作られるお酒で、まさに「地の酒」。
7軒の契約農家さんには、有機肥料でお米を作っていただいているそうです。
しかも、有機肥料は、ダバダ火振を作る過程で出る、栗焼酎の粕(かす)。発酵してしまっているので、すごい匂いで酸っぱいらしいですが、栄養価がとても高いということで、肥料として活用され始めたのだとか。
資源を大切に使い切り、自然に負担をかけないお米作りとお酒造りが、四万十川の傍で行われています。
リキュールも作っています。
実は、無手無冠はリキュールの製造販売も行っているんです。
ゆずの生産で有名な高知県、とりわけ馬路村や北川村が有名ですが、四万十でもゆずの生産が盛んなのです。四万十川がつくる急斜面でゆずを栽培してきましたが、高齢化や後継者不足により収穫されないゆずもありました。
そんなゆずを救うべく、収穫体制を整え、試行錯誤すること7年。
ゆずのすっきりとした風味が香るお酒になりました。
日本酒、焼酎、リキュールと、様々なお酒を造っている無手無冠ですが、インタビューの中で見せていただいた会社経歴には「○○製造免許取得」の文字。
「酒類は、お酒の種類によって製造免許がいるんですよ。しかも、製造免許1つを取得するのに、こんなに書類がいるんです。」と、親指と人差し指を8~9㎝も離しながら話す福永さん。
酒造免許一つ取るのも大変なのに、それを3種類も持っているというので、驚きです。
無手無冠の歴史は、明治から。
無手無冠の創業は1893年。明治26年。
「冠におぼれず、飾らず、素朴な心を大切に、ひたすら自然を生かした地の酒造り。」
この酒造りの姿勢を基に、今の四万十町大正地域で造り酒屋として開業。
開業当時の無手無冠の主力商品は、「日本酒」。当時は、気温の低い冬にお酒を造って、一年間売るというサイクルだったそうです。
現代では、冷蔵庫での保管や空調設備が普及しているので、年中造ることができます。しかし、当時は、限られた時間の中でしか造ることができなかったそうです。
昭和55年10月1日。無手無冠では、お酒の原料米の全量を大正地区で作られたものに切り替えました。
そして、昭和62年には、焼酎粕を肥料にした、有機無農薬米の栽培を地元の農家さんと契約。契約農家さんには、「こんな作り方じゃあ、量とれんぞ」とか、「収穫した時に量が少なかったら、どうする」といった声がある中、話し合いをして、折り合いをつけていきました。
その成果も実り、現在でも大正地区の7軒の契約農家さんに作っていただいたお米でお酒造りをしています。
ダバダ火振は遅咲き…?
今や人気のダバダ火振。
ですが、販売当時から人気急上昇~!というわけではなかったようです。
といいますのも、ダバダを売り始めたのは35年前の1985年。
酒の国、土佐といえど、お酒の好みがあったようで、当時の主流は、日本酒。
焼酎も飲まれていたそうですが、「焼酎は安酒」というイメージが強く、好んで飲むようなお酒ではなかったそうです。
そんな中、栗焼酎を作ることになったきっかけは、当時の大正町長が持ってきた「栗を使って地域おこしをしてほしい」という話。
当時は、今以上に栗が採れていたそうです。その分、売れない栗も多く、500tほどが捨てられていたのだとか…
その捨てられていた栗を使って地域おこしをしてほしいというのが、町長からのお話。
そして、その栗を使ってできたのが「ダバダ火振」でした。
1985年に販売を開始しましたが、売れ行きは伸び悩む日々。
人気のきっかけは、1999年。JAL国際線で栗焼酎3年古酒の販売がスタートした事でした。
元々口当たりや香りがよく、飲みやすい栗焼酎ですが、3年間寝かせた栗焼酎は、格別に美味しかったのだとか。
これが人気に火をつけました。
その後、焼酎ブームなどの後押しもあって、人気が再燃しているそうです。
当時だからできたこと。
ダバダ火振の知名度が低かった当時、無手無冠が選んだ発信方法は、「地元出身者に広告塔になってもらうべく、手紙を送る」こと。
当時の役場には、町外・県外に出ていった人の名前と住所を控えた名簿がありました。
そして、申請すれば、その情報を教えてくれたそうです。
で、無手無冠は、地元出身者に「ダバダ火振という栗焼酎が新しく出来ました。お一ついかがですか?」という内容の手紙に注文票をつけて送っていたそうです。(今でいうDMですね。)
現在は、個人情報の使用制限が難しくなっており、このような形でお知らせすることはできませんね…
当時だからこそ、できた発信方法でした。
お手紙のかいあって、栗焼酎の魅力に惹かれた方が全国に増え、お中元やお歳暮、お世話になった方への手土産などにダバダ火振をと選ぶ方が増えたそうです。
飲んで美味しい、もらって嬉しいダバダ火振。
四万十町の酒蔵 無手無冠のご紹介でした!